かつて24時間テレビの「あなたの会いたい人探します」という企画に応募したことがある彼だが、「母に会いたい」という願いは今も叶っていない。

アイタイムズ編集部

遠い記憶の中の抱き上げられた温もり

「泣いている私を母が抱き上げたときの記憶があります」「幼い頃そばにはいつも小さなダックスフンドがいたことも覚えています」と語るのは、東北地方に住むマサキさんです。

しかし、その穏やかな記憶は、ある日を境に途切れています。

3歳頃、叔父が迎えに来て、そのまま母と引き離されたのです。叔父のもとで暮らし始めると、こんな言葉を聞かされました。「兄(実父)は、これで司法も警察からも自由になれると言っていた」「取り返しのつかないことをしてしまった。もう戻れない…」幼かったマサキさんには、その意味がわかりませんでした。後に、父の意思によって自分が母と引き離されたのだと知ります。

連れ去られた後の生活

マサキさんはもともと東京都内で暮らしていました。しかしその後、まるで「拾い子」のように東北地方を転々とすることになります。岩手、宮城、山形……。記憶は断片的で、パズルのピースが欠けているように、ところどころ抜け落ちたままです。

7歳になる頃、実父との生活が始まります。けれど、それは「地獄としか言いようのないもの」だったと彼は語ります。

父の再婚相手(元不倫相手)である継母と、その間に生まれた2人の弟と共に暮らし始めました。ところが、そこで彼が与えられたのは”長男”としての立場ではなく、”厄介者”としての扱いでした。

父が語らなかった母のこと ── 奪われた時間

「なぜ、自分は母親と引き離されなければならなかったのか。」その答えを知ったのは、ずっと後のことでした。

父は、不倫相手との関係を隠すために母から逃げるように別居し、その際にマサキさんを奪った──。それにもかかわらず、母親のことについて何も語ろうとはしませんでした。「成長したら話す」そう言いながら、結局その約束が果たされることはなかったのです。

後に叔父から聞いた話によると、母親はかつて暴行されそうになった際に、父に助けられたことがきっかけで出会ったのだという。そして、英語を中心とした生活を送っていたとも聞かされました。

「ヘレン・ヒデヨ・カクドウ」さん…。

母の名前を知り、写真を見たとき、マサキさんは思いました。「自分はこの人に似ている。」「母はどんな声だったのか。どんな雰囲気の人だったのか。知りたい――。」その想いが、心の奥深くに募っていったのです。

現在、マサキさんがX(旧Twitter)で使用しているアカウント名「James.Masaki.Kakudou」は、「もし母の姓になっていたら名乗っていたであろう名前」です。そこに込められた想いの深さは、想像に難くありません。

虐げられ、母を求めはじめた少年時代

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