長男が事故で命を落とし、母親が次男を道連れに自ら命を絶った。

しかし、健一さんがその事実を知ったのは、すべてが終わった後。彼には、公的機関から一切の連絡がない。「親権者ではない」——それが理由だった。

アイタイムズ編集部

救えたはずの命 ―― 親子を引き裂いた社会

2016年、当時40代だった健一さん(仮名)は、妻に子どもを連れ去られ、その後調停を経て、横浜家庭裁判所で離婚裁判を行うことに。当初、裁判官は「子供と父親を会わせないことは認めない」との姿勢を示していた。不当な子の連れ去りに対して、これこそが司法のあるべき姿と言えるでしょう。

しかし、第3回の裁判で状況が一変。裁判官が交代し、裁判所の姿勢も大きく変わります。結果として、健一さんは二度と息子たちと会えなくなったのです。

離婚が決まる前に交わされた合意書には、「面会交流」、つまり健一さんと子どもが会うことが明記されていました。それにもかかわらず、元妻側はその後「子どもを会わせない」と主張を変更。その主張が裁判所に受け入れられたのです。後に、この主張が元妻自身の意向ではなく、弁護士の助言によるものであったことが判明します。しかし、司法の判断は揺るぎませんでした。健一さんの訴えはことごとく退けられ、父としての権利は無情にも否定され続けたのです。

そして悲劇は起きました。長男は母親の単独養育下、公園で事故により命を落とし、その悲しみから母親は次男を道連れに自ら命を絶ちました。この事実を健一さんが知ったのはすべてが終わった後。しかも「親権者ではない」という理由で、公的機関からの連絡は有りませんでした。


健一さんの訴え 「息子たちの死を無駄にしないために」

健一さんは、長男が臓器提供を通じて他者の助けとなった事について、こう語ります。

健一さんの長男:プライバシー保護加工

「脳死状態になった長男は、臓器提供をしたと聞きました。元妻の、その決断には敬服するしかありません。優しい息子だったから、きっと本人もそれを望んだと思います。今も息子の臓器は、日本のどこかで誰かの体内で動いているはず。その臓器には意思があります。自分が生きられなかった人生を、その子に生きてもらうという意思が。」

健一さんは「息子たちの命をもって、単独親権制度に終止符を打ちたい」と語ります。

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