コラム:考察・視点


幼少期から家族との断絶を経験し、長年にわたり家族のあり方を問い続けてきた当事者ライター。自身の体験を基に親子関係の間に生じる「正解のない問題」と向き合い、同じような苦しみを抱える人へ言葉を届けます。

小松 つむぐ

子どもと一方の親が会えなくなってしまう「親子断絶」。ニュースやSNSで耳にしたことはありませんか?どこか遠い世界のできごとのようでありながら、実際は身近に潜んでいるこの問題。言葉が広がる一方で、当事者である「子ども」が大人になっても抱え続けている「得体の知れない生きづらさ」についてはあまり語られていません。

筆者の私は、幼少期に「親子断絶」を経験し、社会人になり「家族断絶」を自ら選択しました。幼少期から不安を抱え、一生この感覚と付き合っていくのだと大人になった今も感じています。

けれど、不安を抱えたままでも少しずつ自分を取り戻し、自分の人生を歩み始めることはできるはず。その不安が「あなたのせいではない」と気づくまでのプロセスと、私という一人の子どもの視点からの「親子断絶」をお伝えします。

「普通のふり」をして生きる、苦しさと孤独感

離婚や別居という大きな転機において、親は新しい生活を整えることに必死になりがちです。自分自身の不安や、変わる環境への対応に追われ、すぐ隣にいる子どもの心の揺れにまで、なかなか意識が及ばなくなってしまう。

しかし、子どもは親が思っている以上に敏感。大人の表情を感じ取り、言葉にできない不安を小さな体に溜め込んでいます。

「元気そうだし大丈夫」そう見えるのは、子どもが親を心配させたくないという健気な理由だけではないのかもしれません。必死に「普通のふり」をしているからではないでしょうか。

「普通のふり」をしているという自覚もないと思います。何が起きているのかさえ分からず、「何かを聞いてはいけない」という重苦しい空気に、言葉を失っているのではないでしょうか。

私が両親の離婚を経験したのは、まだ幼い頃でした。気づくと父が帰ってこなくなり、祖父母宅へ預けられることが徐々に増える日々。一変した生活の中で、「理由は聞いてはいけない」と直感的に悟りました。

大人たちが出す重々しい空気に、反射的に閉ざした口。何が起きているのかわからないまま、ただただ、普通に振る舞うこと。その時の私が自分を守る唯一の方法だったのかもしれません。心が選択した精一杯の防衛でした。

「話をしてくれたら私にだって理解できるのに」心の奥底ではいつもそう思って大人を見ていました。子どもだからと遠ざけるのではなく、一人の人間として向き合って、話をしてほしかった……たとえ悲しい事実であっても、私の気持ちも一緒に受けとめてほしかった。

私が抱えていたのは、ただの寂しさだけではありませんでした。誰にも本当のことを教えてもらえず、一人で暗闇に立たされているような、深い「孤独」です。

親の離婚という大きな出来事の中で、子どもは必死に心のバランスを保とうとしています。行動の変化も一時的なものにとどまることも多いため、焦らず、どんな状況でも寄り添い、安心できる関係を積み重ねていくことが何より重要です。

別居や離婚という大きな出来事の際、親は子どもへ気配りをする事が出来なくなりがちである。

イメージ画像:親の離婚

「私は他の人と何かが違う」という、幼少期から続く違和感

「お父さんいないんでしょ?」

「離婚したの?」

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