コラム:考察・視点


― 著者紹介 ―

筆者であるコピーライターの中新大地は、両親の離婚を機に、家族との距離や関係性のあり方について考えてきた経験を持つ。書き伝えることを生業としながら、多角的な視点で家族をめぐる問題を言語化している。

中新大地

親子断絶という言葉が語られるとき、多くの場合、それは「問題」として扱われます。

しかし一方で、家族と距離を置くという選択が、当事者にとって必要な場合も存在します。関係を続けることが負担になるとき、人はどのような判断をするのでしょうか。

本記事では、親子断絶をめぐる議論を踏まえながら、「家族と距離を置く」という選択とそのゆくえについて考えます。

家族関係は「続けるもの」という前提

私たちは一般的に、家族は続いていくものだと考えがちです。血縁関係は切れないものであり、どのような事情があっても関係は維持されるべきだという前提が、社会の中に広く共有されています。

そのため、親子の関係に距離が生じた場合、「何か問題があるのではないか」「本来あるべき姿ではないのではないか」と捉えられることが少なくありません。特に親子関係については、他の人間関係以上に強い結びつきが期待される傾向があります。

しかし、この「続けるべきもの」という前提自体が、すべてのケースに当てはまるとは限りません。家族であっても関係性の質はさまざまであり、そのあり方は一様ではないからです。

家族、親子関係の適切な距離感はそれぞれで、必ずしも「続けるべきもの」というものではない。

イメージ画像:距離感と時間

距離を置くという選択が生まれる理由

では、人はどのようなときに家族と距離を置くという選択をするのでしょうか。

一つの理由として挙げられるのは、関係そのものが負担になっている場合です。継続的な対立や、コミュニケーションの困難さがあると、関係を維持すること自体が精神的なストレスとなります。このような状況では、距離を置くことが現実的な選択となることがあります。

また、距離を置く行為は、必ずしも相手を拒絶するためだけのものではありません。むしろ、自分自身や子どもの生活の安定を保つための判断として行われる場合もあります。関係を断つのではなく、一定の距離を保つことでバランスを取ろうとする動きです。

さらに、離婚や別居といった環境の変化によって、結果的に距離が生じるケースもあります。この場合、意図的な断絶というよりも、生活の変化に伴う自然な距離として現れることもあります。

親子断絶の文脈での「距離」

親子断絶の文脈で語られる距離には、いくつかのパターンがあります。

一つは、意図的に距離を取るケースです。たとえば、関係を続けることで心理的な負担が大きくなると判断した場合、一定の距離を置く選択がなされることがあります。この場合、距離は一種の自己防衛として機能しています。

もう一つは、関係の変化の中で結果的に距離が生まれるケースです。最初は接触があったものの、時間の経過とともに関係が薄れていき、最終的に断絶に近い状態になる場合です。

重要なのは、「会っていない=完全に関係が断たれている」とは限らない点です。距離の取り方には幅があり、一時的なものから長期的なものまでさまざまな形が存在します。親子によっては、直接会うことはないが、LINEなどを使ったメッセージや電話、写真などのやり取りは続いているというケースもあるでしょう。

子どもの立場から見た距離

子どもの立場から見ると、距離の意味はさらに複雑になります。

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家族の距離に正解は有るのか?親子関係の「正しさ」を問い直す

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